山崎ナオコーラ『論理と感性は相反しない』

神田川歩美、矢野マユミズ、真野秀雄、アンモナイト、宇宙、埼玉、ボルヘス、武藤くん。神田川(24歳、会社員)と矢野(28歳、小説家)の2人を中心に、登場人物がオーバーラップする小説集。「小説」の可能性を無限に拡げる全15編。

短編集である。帯には〈これが私の代表作です〉と書いてある。『人のセックスを笑うな』『浮世でランチ』(ともに河出書房新社)とナオコーラさんの作品を読んできた私には少し違和感が残った。

すべて書き下ろし。いまや短編集の常套手段となっている、作品どおしが微妙にリンクしあう構成を本書もとっている。微妙にではなく普通にリンクしている。そうなると疑問になってくる箇所がでてくるのだ。

以下、ネタバレを含みます。

「プライベート」と「蜘蛛がお酒に」という作品の関係について。プライベートは、矢野マユミズという作家のプライベートを描いたもので、ある作家の講演会で現代音楽をしている松本さんに出会うはなし。二人の間にできる越えられない溝と作家という側面をいやがおうにも認識させられる矢野の気持ちを描いた魅力的な佳編です。一方、蜘蛛がお酒には、矢野が飲み会で松本という男と出会うはなし。両松本は大阪に住んでいます。まあ、蜘蛛のほうは矢野が作家であるという情報はでてますけど、ペンネームがマユミズということはでてないから一概には言えない……わけじゃないでしょ。松本さんも、前者では手紙に内田樹の文章を引用して、後者ではレヴィ=ストロースから記号の話へ飛ぶ。性格も一緒だわ。
結果をいえば、これらの小説は一種のバリエーションとして楽しむのがよいのです。〈登場人物がオーバーラップする〉フィクションですから。

あと一点、気になるのが時代風俗の多用です。ここまで出てくると意図的だと考えるのが妥当ですが、蒼井優だの太田莉奈だのたくさんでてくるんですね。十年、二十年たったとき、この作品を読んだ人はこの文脈を理解できるのでしょうか。いつまでも「いま」であるわけではないから、例えば二十年後の蒼井優は若くはないはずです。創作本では禁じ手のひとつとされている現代風俗の使用。大量に書籍が出版された結果、ひとつの作品の寿命は短くなる一方だけど、真の作家なら未来を見据えていくべきではと思いつつも。皆さん、山崎さんのファンなら本書のあとがきを読みましょう。さすれば山崎さんの並々ならぬ作家魂が堪能できますよ。あとがきが一番おもしろかったかも。あとがきで〈これらの小説はすべてフィクションであり、実在する個人や団体とはあんまり関係がない〉と書いてあります。だから私は、苦言を呈しておきながらも「いま、ここ」のリアルを大切にするための判断であったと勝手に思っております。

いくつかの掌編小説も隙間隙間にあります。風景を歴史的に切り取ったような感じの掌編です。なんかなーって私なんかは思ってしまった。悪くはないんです。こういうのが好きな人はいるのはわかるけど、山崎さんがいつも書くような小説とは趣が異なる気がして戸惑ったのかな。

「アパートにさわれない」という作品は良かったです。余韻というか、文章の間からのぞく感覚が山崎ナオコーラの真骨頂であると私は思ってます。表題作で同棲して別れた神田川歩美と真野秀雄のその後。二人が暮らしたアパートが打ち壊されて、二人で訪れるはなし。草食系男子率高いです。友情とも恋愛ともつかない関係を積極的に描いていたら、必然的にそうなったのかな。すくなくとも現代をまっとうに描こうとしている作家として私はこれからも山崎ナオコーラさんの作品を読んでいきます。

論理と感性は相反しない

論理と感性は相反しない