吉本隆明『日本語のゆくえ』

日本語における芸術的価値とは何か。現在著者が最も関心を集中している課題を、母校・東工大で「芸術言語論」講義として発表。神話時代の歌謡から近代の小説までを題材に論じ、最後に「いまの若い人たちの詩」を読む。そこで現代に感じたものは"塗りつぶされたような「無」"と"わからなさ"であった。『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』を経て展開する、著者の最新文芸批評。

なんで、(日本)詩のゆくえではなく、日本語のゆくえというタイトルにしたのだろうか皆目見当がつきません。詩じゃ、幅が狭いし売れないからかしら。
吉本隆明さんって、1924年生まれですので、もう八十歳を越えていらっしゃる。だからなのだと僕なんかは思うのですけど、筆致が大変湿っぽいんですね。ここらへんは、かなり重要なことなのですね。
というふうな筆致なので、びっくりしちゃいました。恐縮ながら吉本さんの作品は今回がはじめてで、この本なんかは最初に芸術言語論への入り口を示しておいて、各論というか、古典から近代の歌(詩とか短歌)へと巡っていくのです。
さすがは大物。夏目漱石の作品は〈言語表現として最も優れている箇所がモチーフとズレて〉おり、〈明治以降の日本の小説として、『三四郎』は第一級の小説だといえますが、では世界的な意味でそういえるかというと、そこはちょっとためらわざるをえない〉そうなんです。可愛らしいおじいちゃんみたいな語り口で、やっぱり私なんかはほくほくしてきます。
本書のなかでも白眉は、第五章の若い詩人たちの詩。吉本さんが読んだ詩集を二ページにわたって列挙しているのも素晴らしいのですが、多和田葉子さんなんかを若いといえるのも、当たり前ですが年の功ですねえ。この章では若い人の詩は「無」だというのが、ひたすら重要で、吉本さんは老婆心なのか何度も繰り返されています。そう言われると、そうなのかも。
四章の神話と歌謡も面白いですよ。神話は当時の歌謡をもとにインテリが啓蒙目的で作りたもうた、という主張をお持ちなんですね。
特徴としては、曖昧な断定――というと矛盾しますが、でもこれが普通だと思います。なんでも答えをだせるわけじゃない。〇〇の謎がいま、解き明かされるとか云っておきながら、何の解決もしていない詐欺商法の本やテレビに比べれば、全然全うな態度ですよ。
吉本さんは優しい人だと思いました。文章に滲みでてる。私みたいな若い人には、どうやってもかなわないや。

日本語のゆくえ

日本語のゆくえ