ディヴィッド・アーモンド『肩胛骨は翼のなごり』

引っ越してきたばかりの家。古びたガレージの暗い陰で、ぼくは彼をみつけた。ほこりまみれでやせおとろえ、髪や肩にはアオバエの死骸が散らばっている。アスピリンやテイクアウトの中華料理、虫の死骸を食べ、ブラウンエールを飲む。誰も知らない不可思議な存在。彼はいったい何?命の不思議と生の喜びに満ちた、素晴らしい物語。カーネギー賞ウィットブレッド賞受賞の傑作。

マイケル一家は古びた家に引っ越してきた。埃まみれでアオバエの死骸や蜘蛛の巣が群がるガレージの奥でマイケルは不可思議な存在である「彼」を見つける。
見た目は人間のようだけど虫の死骸は食べるし、さわがれた声でじっとガレージの奥で力なさげに壁にもたれかかっている彼。中華料理とブラウンエールが好みで、リウマチを患っていて背中には大きなでっぱりがある。マイケルにしてみたら彼は一体何者だろうかと思わないわけがない。
隣の家に住む学校教育を嫌い詩人ウィリアム・ブレイクを愛する少女ミナと一緒にマイケルは自然の営みを肌で感じ、二人で「彼」を助けようと精一杯になる。設定だけみれば、なんだファンタジーかよとか子供騙しの児童文学ねなどと思われるかもしれませんが、デイヴィッド・アーモンドさんが描く作品は少年少女の気持ちがとてもリアルに表現されています。
作品中で何度となく繰り返される彼の存在に対する問いは、ブラックバードやフクロウなど鳥の描写や話題が取り上げられることで、人間―彼―鳥といったひとつの構造が浮かび上がってくる。耳をすませることでいろいろな音が研ぎ澄まされたり、粘土を作ったり絵を描いたり作文を書くことから想像力を広げていく過程は、子供らしいなあというか彼らの無限の自由と可能性を示唆しているように思えて微笑ましいのです。
マイケルには妹がいてまだあかちゃんなのだけど、病弱で医者に診てもらってはいるものの容態はすぐれない。あかちゃんのことを思う気持ちが、柔らかい肌が感覚として私達に訴えてくるような鮮やかな筆致にしっかりとりこになる。慌ただしくてふだん気にもとめないような自然の光景が、子供の視線をとおしてきらきら輝くときの愛おしさがほんとにたまりません。胸が熱くなったりもするけど、リアルな感情が心に訴えてくる。
この作品には、後年の『ヘヴンアイズ』や『クレイ』(どちらも河出書房新社)などのモチーフが既に現われている。異人(?)との交流は本作品で確固たる形で提示されたのである。「は!」といった独特な相づち表現も『クレイ』の「あいよ」に受け継がれています。あと、「甘(うま)し糧!」を始めとする彼の体言止めの台詞の数々がまじでかっこいい。
訳者は山田順子さん。スティーブン・キングスタンド・バイ・ミー』(新潮文庫)などを訳されています。現在、デイヴィッド・アーモンドの翻訳は山田順子さんと金原瑞人さんがされていますが、両者では結構雰囲気が違います。物語の性質上仕方のないことかもしれませんが、本作品では家族が終始「とうさん」「かあさん」「あかちゃん」と記されているのが、なんかちょっと気になりました。
帯には宮崎駿氏の「ぼくは大スキです。おすすめ」という推薦文が載ってます。本屋で手に取ったとき、いっしゅんおーっと驚いた。

肩胛骨は翼のなごり (創元推理文庫)

肩胛骨は翼のなごり (創元推理文庫)