トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』

高名な老作家グスタフ・アッシェンバッハは、ミュンヘンからヴェネツィアへと旅立つ。美しくも豪壮なリド島のホテルに滞在するうち、ポーランド人の家族に出会ったアッシェンバッハは、一家の美しい少年タッジオにつよく惹かれていく。おりしも当地にはコレラの嵐が吹き荒れて…。

美少年文学ということで前から気になっており、某授業でヴィスコンティ監督の映画を見ていつか読もうと思って先日買った小説。少年が登場するまでの50ページは退屈で正直読むのがしんどかった。一文が長いうえにいちいち理屈っぽく頭に入りにくいのである。
ところがどっこい。少年タッジオの姿を目にしてからというもの、老芸術家アッシェンバッハの筆は崩れ落ちていくのである。粗筋としては、歳をとって外国にふらっと出かけたくなってヴェネツィアまで来たアッシェンバッハは、気候もよくなく想像と違ったため滞在場所を変えようとするがトラブルがあって元のホテル留まることになる。んでひとこと宣うのである。
〈なるほど、私を待っていたのは海と浜辺ではなかった。おまえがいる限り、私はここに留まろう!〉と。笑った。勤勉で理性ある人間が通俗な欲望に塗れていく過程を描いたという意味においては、オーソドックスな文学作品である。だが、遭遇するだけじゃ満足できなくなり、少年を尾行しする等のストーカー行為を犯すことが、唐突に当然のことのように描かれるところに小説の引力を感じた。
正直言うと、タッジオが自分のほうを振り向いてくれたのは、私のことを気にかけている証拠であり、だから興奮するといった陶酔っぷりは見ていて痛ましい。さらに、理屈っぽい人間がストーカーすると余計に面倒臭くなる。そんな難題を敢えて描ききった力量はすごいと思う。なんかちょっと私小説っぽいかな。
旅の途中で若者に紛れて若いなりをしている男に気持ち悪さを覚えるのに、最後には少年に近づきたいばかりにおめかしして若く見せようと恋に溺れるのには、情けなさが心に染みた。夢とも現実とも区別つかないギリシア神話的な描写とか美学問答に大袈裟な感じを抱いたけど、これぞ古典文学という感じで良かった。

ヴェネツィアに死す (光文社古典新訳文庫)

ヴェネツィアに死す (光文社古典新訳文庫)