ヘッセ『知と愛』

原題は「ナルチスとゴルトムント」。相反する二人の男が互いに惹かれあうさまを描いた作品といえば単純明快なのだが、にもかかわらず深い作品であった。

美少年ゴルトムントが修道院に入る少年時代から物語ははじまる。見習い僧であるナルチスに感化され、愛を求めて放浪生活を営む。旅の途中でゴルトムントは幾多もの女を魅了し欲望の限りを尽くします。立ち寄った教会でマリア像に魅了され製作者である親方に弟子入りして、彫刻に勤しんだりもする。ペストをはじめとした醜悪な環境が彼を襲い、たくさんの絶望を味わいながらも生きていく姿は描写される表面以上に泥臭いものだった。

墜ちていく物語かと思えばゴルトムント特有の前向きさでぐっと持ちなおしたりもする。おおよその人生が凝縮されているだけあって密度が違うのである。
救いようのないはなしなのか救いがあるのかは読者に委ねられるとして、『車輪の下』とは異なった円熟したおとなの顔がまざまざと見られたのはポイント。子供らしい無邪気な性格なのに歳をくっていくことは後々重要になってきます。

精神と感情、学問と芸術、知と愛。矛盾しあう対象を徹底的に突き詰めたというのはすごいことだと思う。ゴルトムントが経験する出来事の厚みとナルチスとの対話が生み出す世界は尽きることがないくらい深くて考えさせられます。ラストはやおいに通じるところもなくはない。あくまで友情であり、意味もあります。読み終えたあとの余韻は非常に大きいです。余韻が名作の条件なのかな。長くつきあえばつきあうほど、別れがつらくなるのは必定なのは物語の掟であるような気が改めてしてきた。

ゴルトムントが幼い頃に失踪した母への想いが彼を支えている。マリアに重ねてみせるあたりはお約束といっていいかな。母性愛って日本では正面きって取り上げられないような印象を受けるけど日本人は恥ずかしがり屋なのかしらと勝手に思う。無知な自分が怖い。

知と愛 (新潮文庫)

知と愛 (新潮文庫)