内田樹『映画の構造分析』

副題は「ハリウッド映画で学べる現代思想」。
映画評論の本ではありません。<誰でも知っている映画を素材に使った、現代思想の入門書>なのです。
第1章「映画の構造分析」において、内田は<メディアから提供されるすべての情報は「物語」です>と言いきります。
どういうことかというと、我々は物事を理解するときに情報の取捨選択を行っており、このデータを選択することを<「お話を作る」というふうに言い換えているだけのこと>なのだそうです。物語の効能として、難しいことを理解するためにストーリー仕立てにするという手法がありますが、まさしくそんな感じなのでしょう(ex.女子高生ドラッガー本など)。<「知る」とは「物語る」ことです。物語抜きの知は存在しません>とまで言っています。

実は私たちが「面白い」と思ってどきどきするストーリーラインというのは、たいていの場合、昔からあるいくつかの「必勝」パターンをなぞっているにすぎないのです。ですから、物語の構造分析というのは、無数の物語が実は有限数の物語構造を反復しているにすぎないということ(略)をあらわにする作業であります。

物語の構造分析についての的確な意見ですね。本書の目的は、有限の物語構造にもかかわらず<映画がこれほどまでに豊かな多様性を生みだしたことを祝すため>であり、<その多様性がどうして生まれたのか探ることで新たな愉悦を汲み出す>ためにあるのだとか。
大変おもしろく興味深い試みだと思いました。自分の研究分野にも関係してくるしなにより読んでておもしろい。
続いて映画の特徴について触れています。
-映画製作には莫大なコストがかかること。
-収益が期待され観客の参与が必要なこと。
-個人の想像ではなく、集団による創造によること。
観客の参与という点で内田氏は、映画を題材として語りあうことによってネットワークを形成していくような神話形成作用に興味を持っておられるご様子。つまり映画を解釈することが、映画についての神話作りになるという。そんな映画もあるよね。
バルトの作者論、テクスト論をもとにして、映画が様々な引用から成り立ち相互に運動しているというふうにまとめる手際は鮮やか。まとめのような引用がこちら。

製作にかかわるすべてのスタッフ、キャストのそれぞれが、何らかの欲望を抱き、何らかの夢を託して、映画の創造に立ち会っています。それらは一人一人に固有のものであり、必ずしも、あらかじめ調整されて、斉一的な和音を出すように調音されているわけではありません。だから、一本の映画の中に私たちはいやでも「多声的なエクリチュール」を聴きとることになります。

もちろん映画は情報量が莫大なので観客が過剰な意味を見出してしまうこともありますし、何を意味しているのかわからないものが映っている場合もある。バルトのいう「鋭い意味」であり映画の特徴でもあるが、物語の進行を妨げかねない反物語によって、「意味の亀裂」が発生し亀裂を物語が埋めてくれるのです。解釈という知的作業(物語ること)の必要性はそこから生まれてくるのですね。びっくり。
以下、いくつかの映画作品(『エイリアン』『大脱走』など)を取り上げながら、映画の構造を分析していきます。
続きは時間があるときに(図書館の返却期限&予約が入っているためいったん返却してきます)。

映画の構造分析

映画の構造分析