鹿島田真希「ピカルディの三度」

「ピカルディの三度」
著:鹿島田真希
出版社:講談社(群像2007年3月)(のちに講談社より単行本化)
書店で文芸誌をパラパラとめくっていたのですが、気付くとこの話に釘づけになっておりました。思わず声を上げたくなる程の快作(怪作)だったのです。
音大に受験するおれが、実技のレッスンを先生から受けることになって、初めて先生の家に訪れる場面から物語は始まる。
トイレになり〈お、大きいほう〉と言うおれに、先生(♂)は、洗面器を持ってきて、そこに便を出すように促してくるのだ。
という設定だけ見ると、限りなく鬼畜なBLと思うかたがいらっしゃるでしょうが、そこは鹿島田さん。
確かにホモソーシャルな関係を描いてはいるのですが、腐女子のための願望充足な小説にはなっておりません(そこが良い)。
純文学の前衛を進むある意味正統派な想像力によって描かれたこの作品では、当然のことながら、主人公の友人・喜多川も鹿島田世界の住人になっているのです。例えば、おれは喜多川に先生のことを好きな事を告げます。ですが、喜多川は表情ひとつ変えずにアドバイスするのです(この展開。普通なら気色悪がると思うのですが……)。
不安を曲に込めて、作曲という排泄行為によって、不安から解放されようとする先生。糞にしか興味を持ってくれないことに悩みながら、先生に好かれたいと思うおれ。〈音楽というウンコ〉に象徴されたフレーズが、私達読者に与える思索の時間はまさに下世話な感覚ではなく、上品なタルトの如き味わいなのです。
〈……のだ〉という語りが連続するので、頭が痛くなったりもしますけど、それも説得性を増すためだけではなく、この不気味な世界の不協和音として効果的に用いています。
音楽を恋愛に、排泄を音楽に置き換えるメタファーが冴えている鹿島田さんの倒錯模様に、私はちょっぴり心配しながらも、早くも次回作が待ち遠しくなるのでした。これぞ快(怪)作。

ピカルディーの三度

ピカルディーの三度