堤清二、三浦展『無印ニッポン』

T型フォードの発売からリーマン・ショックまで一〇〇年。自動車の世紀だった二〇世紀が終わり、消費文化は大きな曲がり角を迎えている。大流通グループ「セゾン」を牽引し、無印良品を生み出した堤と、地域の文化の衰退を憂慮する三浦が、消費の未来、日本の将来を語る。「これがいい」ではなく、「これでいい」という「無印」の思想は、企業主導ではない個人主体の生き方を勧めるものである。本当の消費者主権とは何か。

堤清二さんのことは以前から気になっておりました。百貨店が衰退するなかで、百貨店のみならず流通業界を文化装置として機能させてきた堤氏は、批判はあるにせよ時代を作り上げた人特有の力強さを感じます。
対談集なのでさくっと読めます。消費のトレンドから地域社会、無印良品の思想から日本の展望までと様々なトピックについて包み隠さず語られており、本書はまさに至言の宝庫でした。
マスメディアの均質化のはなしは興味深かった。わかりやすさを求め、消費者の批判を恐れるあまり最大公約数的な報道を行うメディア。常識という幻想に縛られて、どのメディアも一方的な見方しか出来ず、皮肉を書くことも出来ないことを皮肉られてました。私なかはまったくそのとおりだと感心させられました。
無印良品が「これがいい」ではなく「これでいい」という価値観から生まれ、ブランドの対局に位置してきたというのは注目すべきことかもしれない。
でも、対抗文化であるはずの無印良品が主流になった現在では結果として、一種のブランドとして無印良品が定着したかんがある。
堤氏もセゾングループを牽引してきて、消費社会を最前線で押し進めてきた責任があるからか、しきりにごめんなさいと謝っていたのがおもしろかった。後ろめたい気持ちはあるにせよ、議論していくうえでの建前というものでしょうが。
オリジナリティに固執しなくなったのか、はたまたそこまで余裕がないのか。みんなと一緒が良いという集団意識は「空気を読む」ことが重要視されたりするところに表れているかも。
両者も指摘しているとおり地方にショッピングモールが出展することで、地方も都市のミニチュア版になり地方特有の独自性が失われることはちっとも良くないことだとおもう。日本の場合は中央集権で省庁の力が強いのが問題らしい。なかなか勉強になります。
ビジネスに確固たる思想なり考え方があるというところに人として魅力を感じました。金儲けだけで思想がないと虚しいですし。三浦氏も述べてますが、詩人経営者という〈矛盾する二足のわらじを履いて歩く〉ということはどういうことなのか、彼の見方が垣間見れるところが本書の読みどころです。多くの人に受け入れられる著名な経営者は経営哲学とやらをお持ちですしね。
両者(特に堤氏)の知人、コネクションが凄まじいため引用や小ネタひとつとってもスケールが一般人と異なり尽きることのない談話。現代社会に精通したいビジネスマンにはおすすめ。

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)